Leica M8 を1ヶ月ちょい使った感想
ねこ (Leica M8 + Summicron 50mm 2.0)
カション…
これが私の惹かれたLeica M3のシャッター音である。
それはまるで静寂に満たされた日本庭園の片隅で一人佇む鹿威しのような…
それはまるで晩秋の肌寒さに少女が思わず放つ可憐なくしゃみのような…(病気)
我らを魅了するその小悪魔のごとく魅力的なシャッター音こそライカを使うその時間を史上なものに仕上げ我々の心を掴んで離さないのではないか。
バキン!…ッシャァアアアアア!!!!!!!
初めてシャッターを切ったライカストアの店内で私は大いに慌てた。
恐らく何らかのパーツをへし折ってしまったのではないか。
これは弁償させられるのではないか。
このとんでもない音がシャッター音だと気付くまで数秒を要した。
M3のシャッター音が上品な機知に富んだ春風のように軽やかで可憐な少女だとしたら、こいつは小動物を素手で捕まえそのまま首を捻りきって生肉をもしゃもしゃと食べ始めるタイプの野生児だ。
ライカという高級レストランでハンバーガーを手掴みで食べ散らかしゲップをして屁までこいて出ていくようなその異様な様相は明らかにライカMシステムの中でも異端であろう。
2006年発売ということを鑑みれば致し方ないかもしれないが、背面液晶は私が中学生の頃に使っていたガラケーレベルの悲惨さでブレは愚か露出すら大体でしか分からない。
おっ、ちゃんとSDカードは入っているな! っていう使い方以上を求めてはいけない。
そのSDカードだって後に32GBに対応したため、32GBのカード入れると軍艦部の液晶には常に残り撮影可能枚数が999と表示されバグったゲームのような様相を醸し出している。
ここまで散々こき下ろしたが、こんな野蛮で未完成なデジタルカメラだが出てくる画は確かにライカなのである。
M8といえばハイキーみたいなところがあるようだが、私はアンダー目で撮ってシャドウの粘りを楽しみたい派である。
CCD特有の〜とのたまう気はないが、確かにシャドウの表現は見ていて楽しいものがあって、これがライカ特有の謎の立体感に繋がっているのではないかと個人的に思っている。
M10の作例など見てもセンサーは変わっているのにも関わらず、この暗部の謎の立体感は失われておらず、ついついカメラほしい病が発症するのだが私の財布では届かぬ夢なのである。
ねこ (Leica M8 + Summicron 50mm 2.0)
憧れていたボケやヌッタリした色の乗りがいざ自分の写真から出てくるとこれまた喜びも一入だった。
スマホのカメラから卒業したい一心だった気持ちに一つのピリオドを付けてくれたと言える。
間違いなく買ってよかったと思えたし、この寿命短き儚いデジカメは壊れるまで使おうと思っている。
ところでM8に限った話ではないのだが、デジタルカメラというのは中々シビアなもので、気を抜いて連射するとゴミのような写真を量産する羽目になってしまい、これまたフィルムとは勝手が違う。
白黒フィルムで撮ればただとっ散らかった食卓の上でもそこにストーリーが見えてくるようだし、カラーフィルムで撮れば見ず知らずの若者たちでも昭和の良き思い出の一コマのようになる。
デジタル写真の"綺麗さ"がもどかしい葛藤を生み出し、新たなカメラへの探究心に火がつく。
北野天満宮 (Leica M8 + Elmarit 28mm 2.8)
画素数やセンサーサイズへのこだわりはとうの昔に放棄したものだと思いこんでいたのだが、これまたデジタルを久しぶりにいじるとそういったものへの欲求が高まってしまった。
また2018年欲しいもの記事でも書こうかと思う。
聞くところによると世の中にはFoveonという禁断の果実があるらしい。
謎のカルト教団Foveon教に接近してみようか。